「っても次も悲しい曲ですけどね、泣かせますだから」(ミドリカワ書房 京阪2番勝負 泣かせます編 in京都捨得)

磔磔と並ぶ老舗として有名な捨得、最寄り駅から徒歩15分という鬼条件にチャリで行きましたさ。着いたら着いたで扉一面に張りまくられてるミドのライブポスターに感嘆しすると同時に、なぜか外でお店の人と野球談義をしてるジャーマネ菅原さんに唖然とする。…目立つ人だなぁ。
アコースティックってんで一人弾き語りだと思ってノコノコ赴けば、狭いステージに設置された機材の数々にガッツポーズ。アコースティック編成で頑母みなさん勢ぞろい。西やんに西でも会えた!躍らせます編もそうだったけど、泣かせますって方向に直球勝負で攻めてくるくる。泣くってどういうことかってと、私は感情の飽和決壊だと捉えております。感情を沸かせ煽り詰め寄る音情の波。それを引き起こす頑母サウンドとミドの声ったら!!泣くっつーよりも、ひたすらエキサイトしてもうた1時間半でした。
感情の飽和決壊と先ほど言いましたが、感情にも濃度の幅があるから飽和点もまた1点に限らないとも思います。哀しみにも色んな質があって、そういう幅を描いて紡げる人だと思うんだけど、なかでも哀しみの激情とでも言うんだろうか。想いの強さが、感情の強さに比例するような。そういう叫びがミドはとても似合うと思う。
前にミドの楽曲の人物は生き汚いと称しましたが、非常に聞こえが悪い表現ですが、欲望に正直といってもただ一人よがりに自分勝手ってことだけではないのがいい。誰かを好きで、誰かを大事にしたくて、誰かの傍にいたくて、誰かを守りたいと思うのもまた欲望だと思うのです。色んな状況において貫けなかったりするけれど、それぞれの幸せを維持しようとする姿がいじらしくて好ましく感じちゃうのよ。ちっくしょー…おもしれぇ。
躍らせますではなかった録音MCも新たな形で活躍。日記形式じゃなくて、街の鐘つきをしてる男の目線。その中でもひとつの物語と人生が成立してんのがこれまたおもろい。
曲目や構成は先立っての吉祥寺と同じ(友達のブログで確認。ACもリンゴガールだけでしたが、「11月に大阪でお会いましょう」と満足げに去ってきましたわ。一昨年の呼人の部屋第2回目のゲストとしてミドを知って、すぐに徒然第2幕の渋谷公演ゲストとして再会したけども、そん時は初めての関東ワンマンを控えて関西でのワンマンなんてまだまだいつの日にかという感じでしたわ。そっからこうして、関西でもコンスタントに会える現状というのはとても有難いなぁとも確認した夜でもありました。泣くも笑うも踊るもするけれど、なんだかひらすら愉快な気持ちになるんです。大いに笑ってついてく覚悟はとっくにしてるから、また11月にそのニヤケ笑いを拝ませて。