What god do you have?

日程延び延びになってた勉強会を先週やっと行えて、マルクスの「ユダヤ人問題によせて」ようやく終了。第一部?で宗教も国家も媒介と言う点でまったく同じ構造で、その止揚の必要性を説いてた訳だけども。第二部では宗教は宗教でもなんでユダヤ教(でありキリスト教)が問題になるのか、ってのを市民社会って現状そのものから必要性を証明してんのがすげぇ。ただ宗教でも国家でも、ましてや貨幣でもない、どんな幻想にも換算されない人間の類的紐帯なんかあるんだろうか。作れんのか。そこに私はある程度、ルソーの一般意思による社会契約って概念が、“物語”として有効だと思う。社会契約論は論文ちゅーよりも、現状に対する洞察から生んだ壮大なファンタジーだと感じます。事実そうである(あった)ってものではなくて、事実をこう考えたら未来に対応作れるんじゃない?という物語。そこで語られる“契約”って概念は今なおっていうか、それこそ善意っていう前提よりも“アトム的個人”に有効かと。もちろん時代的な楽観感差し引かなきゃいけませんけどもね。
論に同意するしないは別として、読む度にどんどんマルクスという人間が好きになってきます。なんでこの問題を考える必要があるのかっていうリアリティが、時代のってのもあるけど何より本人の切実さとして伝わってくんだよなー。全部が全部、どうすりゃ社会を変えられんのかってその問題意識に集約してるド根性。もうちょっとマルクス読んでみたいけど、次に薦められたデモクリトスエピクロスの自然定理とかなんかって博士論文はめちゃ難しいらしい…。ヘーゲルに遡るか、市民社会と資本主義ってんでウェーバー行くか。むむむー。
メモ
・吉本の定義した幻想領域は、マルクスの言う国民国家共同幻想)と市民社会(自己幻想)の矛盾の狭間にもう一段階“家”(対幻想)の領域を作ったのが画期的?“家”って発想はそもそも日本的?