心が奮う、心が痛む

『茜空』遭遇衝撃から一夜明け、まだ引きずってるよ!(すごくよい笑顔。痛ぇーー、痛ぇよーーー。
あんなボーカルだったっけ。あんな、意志と同時に揺らぎを伝えてくるようなボーカルだったっけ。そりゃ「電話」とか「粉雪」だって意志と表裏の不安や哀しみがあっけども、そういうのを意志によって抗おうとするエネルギーにゾクっとすんのよ。茜空はなんか違うの。
痩せた月夜に、魅入ちゃった瞬間もあると思うの。哀しみを厭う気持ちと同時に、哀しみに寄りそう景色は優しいから。探した心の声は見つかってないのに、まだ虚ろったままで夜に抱かれてたいのに、それでも白んだ空に映る彩りが心奪う。明日の気配に期待してしまう。痩せた月夜に魅いった哀しみはまだある。だけども春の匂いに喜びが湧く。どっちも確かにここにあって、その矛盾に傷がうずく。
「そう、春だから」って理由が容赦ないのよ。容赦なく、聴こえるの。春の匂いに立ち上がることを選んだのは自分。明日の気配に瞳が輝いてしまう。欲してるのも選んだのも自分なんだけど、その変化に戸惑う自分もやっぱりいると思うの。すごく、残酷だと思う。明日を選ぶことは、今日を生きることは、昨日の全てを捨てる訳じゃないし、嘘にする気もないけど。でも「選ぶ」って行為には全てを詰め込むことはできないから、振り切るものがどうしても出てくる。その証が、この痛み。
空とかお日様とか色んな気配が春に近づいてっけどまだ風は冷たくて、その澄んだ温度に身が斬られるような。寒くて縮こまっちゃうけど、もっとよく季節の彩を感じたくて顔をあげちゃう。桜舞う春の朝も、そんな風にまだ寒さ残ってんじゃないかな。そんな痛さ。微笑みながら、泣きたくなる。

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巻対山崎さんに続いて、対金光さんも読み返し。勇気は鍛えられない、って云ってたのが残る。『フェスタ』や『雨上がり』、『電話』とかにある意志のエネルギーって、不安や戸惑いをなんとか振り切って抗おうとする反動的なもので。それはそういう怖さを認めちゃったら落ちてしまうから、後ろや下を見ないで前だけになんとか視界固定しようとする感じ。自分に言いきかせるってよく巻云ってるけど、信じたいものを信じるために唱える強い言葉たち。
でも『茜空』はそういう怖さを認めてんだよね。何度選んできた経験があろうと、いつだって、今も怖い。後ろからついてきた足元の影を確認したら、顔をあげて空を見上げる。夜が明けるようにゆっくりと、だけど朝の訪れに確信もつように。初期の意志力ってのは、エネルギーのつきぬけはあるんだけどはりつめたものだったなって思い返すんです。茜空に感じる意志力は揺らいでんだけど、すごく太く幅のある根のはったもの。翼は確実にでっかくなってんのかな。
あと初見時には時々垣間見る不思議ちゃん発言だと流してた朝練のたとえ。やばい、今になってものすごく良いものに思える。しんどいんだよ、この歌。しんどいけど気持ちいいし、そんで大事なんだよ。大事な、うたになった。
ひとまず『茜空』に対する感触終り!これ以上は引きずってやんねーって云いつつ、アコースティックバージョンがわりと伏兵だとも想ってる。やる事やって、来週迎えいくかんね。