あったかいだけなんかじゃないよ

HOMEの付属DVD観ました。……あのおっさん、なーに今更云ってんだか(爆笑。あはははは。やさしいうた奏でるの、知ってるよ。愛しげに紡ぐのを知ってるよ。でもそれだけじゃないのも知ってる。歌の向こうの、挑むような暴くような、むきだしの獣の眼。誰よりも欲望を肯定し続けてきたのはミスチルだと私は捉えてます。希望を紡ぐ分だけ、欲望の在りかを知らしてきた。そんなねぇ、あったかいだけの筈ないじゃん。

HOMEもささやかさだとか日常がテーマと言われますが、でもその“ささやかさ”の定義がシフクん時と決定的に違うと感じています。まだその差異を明確に言語化できませんが、生々しいのよ。音の気配が、息遣いが生々しい。山崎さんはHOMEを意図的な無菌状態だと評してたけど、切り取り描く範囲に関してその評を理解できるものの、なんかそんだけで終ってないだろとも思うんです。そんだけで終ってないものが何か、ってトコを待ってりゃそのうち歌として出てくるよっていうのが私のスタンス。山崎さんは批評家としての期待の部分で、その先のものを欠片でもいいから探りたくてあのオフェンスなのかなーと。そこは立場の違い(批評家とファン)と、立場の違いからくる信頼の質の違いっていうかになんのかな。

ハイブリットイノセンス映像に、行けるもんなら行きたかったなーと素直に思います。でもあんな風に思うが侭に音と戯れ音を纏う彼らが、あの夜限りのものでない確信もある。ライブハウスだろうがアリーナだろうがスタジアムだろうが、どこだろうがミスチルとして音を鳴らした瞬間からきっと会える。
会いたかった、じゃない。知ってる。音楽と私たちを出会わせてくれる媒介者。声の向こうに、音の向こうに、歌の中に感じたもの。滑稽で格好悪くて醜いけど同時にとても美しい、“人”っていうモンスター。愛してんだ。掌から零したものを拾いなおし続ける姿。奪う、ではない。奪い返す必要はもうない。零したもんを音楽として見つけては紡いでく。愛しちゃったんだわ。