「君が好きで 切なさはやってくるんだよ」

しるし

しるし

「愛の唄をもっと歌えるようになれればいいなぁと思う」
志村のこの言葉*1から、ロックにおいてラブソングとは何かをずっと考えてきました。今現在の答えとしては「ロックの最終形がラブソング」だということ。*2
関係性が具現化したものを表現だと定義するなら、自己-他者-世界という3段階の対象が存在します。ネガとかポジとかの価値を含む意味でなく単なる数直線的認識として、自己(−方向)と世界(+方向)の中間軸に存在する0地点が「君」。自己に還るにも、世界に向かうにも、まずは君と出会うことから始まる。
関係性において他者に抱く感情を愛となずけるなら*3、関係性を描いたうたは広くラブソングと言えるでしょう。長くなりましたが何を言いたいかといいますと、「しるし」という1曲が究極のラブソングってんじゃなく、「しるし」「ひびき」「くるみ」の3曲で関係性の多様さをキュっと凝縮した、見事なラブソング・シングルになっているということ。やっばいの、作ってきやがって。


君と対した時の僕の心情を紡ぐ「しるし」。君と出会えて得た喜びがあるからこそ、君と僕だけの世界には閉じこもりきれない。君と僕でいるからこそ世界と接している微妙な加減を、それでも強い喜びを前提に奏でる「ひびき」。そして君が去り世界に一人っきりで放り出された僕が、それでも心に宿る思いと再会する「くるみ」。
君と僕。君と僕と世界。僕と世界。見事なサイクルです。見事なラブ・サイクルです。「しるし」「ひびき」「くるみ」のタイトル3文字加減にもうっかりシビれてましたけど、ほんと見事なコンセプトシングル。唯一あれなのはジャケが久々本人で、なんかやたらと気恥ずかしいだけ。なんかよく判んないけどむずがゆい。そこは別に判んなくていいや。

こうやって言い切ちゃうととても簡単ですが、関係性というもののリアリティがすっぴんの言葉たちでシンプルに迫ってくる。シングル「箒星」で感じた以上に、またもっとずっと声が言葉が生き生きと伝わってくる。思うが侭の言葉を、感じるままの音にのせて紡いでく。どんどん皮膚に近づいてくる。
アルバム「I LOVE U」を聴いた時に、それまでの作品に感じていた理論と表現によるコーティングがはがれた様に感じました。その一枚膜をずっともどかしく思ってたんですが、むき出しの曲達をむき出しの感情で伝えてきた。それから「箒星」にこの「しるし」と、どんどん軽やかになっていく。最強です、今のあの男とこのバンド。今年のbankFesで痛感した筈なんですけども、その後もハイブリットイノセント報だったりこのシングルといい証明されっぱなし。
この気持ちは恋ではないけれど、だからこそ「愛してる」たぁ言ってやる。

*1:音楽と人2005年12月号

*2:ロックの定義についても同時に必要になりますが、ここでは省略

*3:対する恋の定義の限定性についても、ここでは省略