「明日一歩ふみだしたら、今日がお前の旅立ち前夜だ」

校長ーーーー!!!(泣。

ロストが13日ゲストだと聴いて、遅刻でラジオつけたらタイミングばっちしで音源の「旅立ち前夜」。私も、私も私の曲になってます校長!音楽を愛する人達が、音楽が表現が持つ「扉」の役割をラジオってメディアを通じて担おうとして担いたいと願って、んで担ってんのがホント心掴まされる。世界は変わらないかもしんないけど、それでも何か届けたいって信じて彼らが歌を奏でるように彼らもまた今夜も喋ってる。

10代の切実さには敵わねぇなと、実状はどうあれ一応大人に片足つっこんでる自覚のある身としては思ちゃうことが多いですけども。本気で向かってくるからこそ許してくれないけど認めてくれる、そんな大人たちと出会えるSOLにリアルタイムで恩恵さずかれる今の中高生をホント幸せだと思います。逆に言えば、こうやってラジオとかのメディア空間通さないと、そういう関係性を築く場が得れないのもまた今の現実なんだなと思い知らされますが。でもすごくSOLがいいなと思うのは、許してくれないのよね。閉じこもることを。

音楽とか表現のメディアは閉じこもっちゃうことがもっと自由に聴くけど、多メディア連動のリアルタイムさとオープン性は一旦いいなっ、関わりたいなって思ったらグイグイ外の世界と関わる可能性を方法を、具体的に即座に提示して引っ張り出してくれる。掲示板とか逆電がね、手っ取り早く且つ判りやすい手段のひとつだと思います。

少しでも楽しそうだなって扉の向こうを覗く気になったら、もっと扉を開ける手伝いをしてくれる。そんなに扉開ける気はなかったのにって驚いて閉めようとしても、ドンドンと扉叩いて呼びかけてくる。そんな人、大人に限らずなかなか出会えないのかもしれない。でもいるんだよ。どっかにゃ絶対居るんだよ。まずはラジオを通じて出会ってみな。もし嬉しかったり楽しかったり痛かったとしても、良いな好いなって思えたら。そしたら次は目の前の誰かに自分がノックしてみな。その事を、あの優しい大人達は何よりも望んでるんだ。


そんで海北さんですよ。月頭のインスト感触も未だ記せてないのはそんだけガンっと感情持ってかれたからなんですが今夜も、もうもう。

「置いてけないもの全部持って」って、その言葉とその言葉に偽りのない音楽に今年の春に惚れ込んだものでしたが。そう言えるためには海北さんも捨てたいともがいて、その上で持っていくことを選択したんだなと、インストライブで初めて生で海北さんの歌声にロストインタイムの音楽に触れて感じました。そんな海北さんに会ったことで、自分が今「これから」を選ぶために振り切りたいものがあることに気付いてしまいました。
それは人生の中で持たされちゃったもので。意志とか感情とかに関係なく、関係ないところで持たされちゃったもの。それを私はどうしても「あるもの」だとは受け入れられない。「持たされちゃった」んだって違和感を、決定的に抱いてしまった。愛着はあるけれども、愛着よりも強い強制力が働いてることが、愛着を持ってるからこそイヤでたまらない。
持たされてるんじゃなくて持つか持たないかどちらかにしろ、ちゃんと自分の意志で自由に選択できる状態にするために今あがいてます。もしかしたら未来に持つことを選択するかもしれないけど、今はまだ無理。そこが決定的に海北さんと違ってて、でも違うからこそ海北さんがロストインタイムの音楽が好きなんだと思い知らされます。インストん時にも思い知って、今夜もまた思い知った。

泣き出しそうなのも歯を喰いしばってんのも、誰よりもまずこの歌を通じて見えるあの人。泣き出しそうな心で歯ぁ喰いしばって、それでもふんばって声しぼって届けるこの歌が。今日も傍で鳴ってる。

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あとカッターナイフについて私の感触。
私には「ごめんなさいすら届かない」って聴こえます。関係性に対する一番簡単な働きかけが「ありがとう」と「ごめんなさい」だと想ってるのですが、その一番簡単な働きかけすら届かない。ディスコミュニケーション、ここに極まりの状態。ごめんなさいすらも本当の意味で相手に響かない、伝わらない。前述した「持たされちゃった」関係だとそれがありうるの。ありうるのに、実状とは関係なく関係が持続されちゃうの。そんなのいやだから、選び直すためにあがいてやるって決めたの。