ゆず体育館ツアー2006「リボン」 in三重三アリーナ

近鉄沿線ぶらり旅より帰宅してます。京都から大阪を寄り、三重、名古屋と喰い倒しました。携帯日記でハシャギっぷりを晒してますが、あれでも撮りそびれたのがあるくらい、マジ喰い倒しました。My stomach is universe。美味かったぞーー鶴橋・三重・名古屋!!!
初日は鶴橋で合流して、一路三重へ。おかげ横丁行って、伊勢神宮参って、ゆずライブ。1泊して翌日二見浦でシーパラ夫婦岩を堪能した後、らうらるさんとお別れして名古屋へ移動。でスキマライブー…の予定だったんすが、大橋くんの体調不良によりスキマさんは公演延期になりました。その大橋くんは明日からの高松公演は予定通り行える様なんで、安堵してます。なんでその振り替え公演の為に月末の29日、もっぺん名古屋行きます。


私にとってリボンツアー初参戦。(以下曲名だけは反転仕様)
一言で云いますと、奴らがバカだってこと忘れてました。もー、笑うしかねぇっつーの!「フォークエンターテーナー」、過去呼人さんに宣言してた言葉の真価を改めて見せ付けられました。

ポップさって、「ポジティブ」であり「ポピュラリティー」であると考えてます。曲が内包する「圧倒的なポジティブさ」(by金光さん)。楽曲の持つ力が強ければ強いほど、そのキャパシティーにも比例する。揺ぎない曲の良ささえあれば、どういう意図(範囲)で伝えていくかで変化させても平気。
より多くの人に届くために、原液を薄めるんじゃなくて生かすために調理する。それが「アレンジ」で、その過程を経て獲得するのが「ポピュラリティー」。で、ライブにおけるアレンジにあたるのが「演出」でもある。
こないだ晴が週なびで言ってた「入りやすさ」ってこういう事だと思うんすよね。遊び要素で大笑いしながら、曲に自然に入り込んで楽しむことが出来る。

だけど同時に「栄光の架け橋」の2人verなんかもぶってけてくる。ポップさの成果を一等発揮したこの曲を、今あえてすっぴんの本来の唄の力だけで聴かせてくる。久々にゆずにケンカ売られた気がして震えましたよ。かっちょいい。かっちょよかった。

トータルで「ポップさ」を実践して、体現してる。でっかくなったな、リトルモンスター

今までだってね、ずっとそういうの実践してきてたけど。個人的思い入れによる感情飽和で気付けなかったものが、フラットに対せる様になった今改めて見えてとても嬉しいんです。「初めまして三重!」と何度も言う2人に、遠征組の私らはこっそりお邪魔する形ですが、でも三重の人達と一緒に「初めまして!」を叫ばして頂きました。それくらい、新しい気持ちでゆずと会えました。
過去息も出来ないほどの感情の波を引き起こした曲たちに、やっぱ反射で泣いちゃうけど、もうその感情は完全に過去のものになってて。それをずっと少し寂しがってましたけど、今はこの穏やかさを愛しく思えます。

のびやかに、音楽を介して喜びを蒔く。そんな彼らを誇らしく思います。愛してるぜーリトルモンスター

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えーっと前述のはライブ総括の感想でしたが、アルバム聴き時にもひっかかってた岩曲がね。ライブ遭遇でもやっぱすごいひっかかた。
今までの岩曲って、これは吉本親子対談ん時の渋谷さんの表現ですけど、30センチ浮遊してたと思うのですね。言葉遊びだったり、あえて含んだ曖昧さだったり。だけどその浮遊がやっぱ取れちゃった気がします。その言葉センスだったり、表現の良さは残ってるけど、でもやっぱなんか鋭度が増してて。それが何かって言ったら浮遊がなくなったからかなぁという結論にいくしかないんすよね私としては。

「圧倒的なポジティブさ」という前提方向の中で、真っ向からは仁が、裏側からを岩が事実と向き合ってる様に思えます。どっちが作った曲であろうが、「ゆず」になる。それは確かにずっと実践してきたことだけど、岩の浮遊がなくなったことでより強固になったんでないのかなぁと思ったのです。

今更ながら金光さんの言葉がグルグル蘇りますが、言ってたのoneの時だっけな。くっそー、解釈するのに1年半かかったのか。