「太陽の下で会いましょう」

太陽の下 (初回限定盤)

太陽の下 (初回限定盤)

太陽4部作みたいなラインナップで、流れで聴くとライブ音源の2つもなんでこの曲選だったのか、特に「電話」がすごい納得でした。「電話」に込めた意思の在り方の先が「太陽の下」なんだろうなー。
大地に立って空を見上げる。どんなに視点が遠くに巡っても、戻ってくるのは大地を踏みしめてる自分。「朝顔」までの作品を閉じてる閉じてる金光さんに連呼されてっけど、仔細に自分に探ってたからこそ、こんなに地に足ついた論を世界を作り上げてったんだろうな。可愛くないけどさ(ぼそっ。

そんでサクの表現だけどシングル表題作は意識してパキっとさせてっけど、カップリングが相変わらず巻節全開でね。これもサクの表現だけど(だってホントに的確なんだもん)、ほんっと煮え切らないメロディ!(喜。声はすんごい伸びてるのに、でも何かが何かがなーひっかかるこのカンジ。気持ち悪いのが気持ちいいのはファブであり志村節だけど、ちょっと似た快感があるよな巻節も。

「お願いだよサンシャイン」って言葉があんまキラキラ聴こえないのがすごいイイ。一見したらこれ、魔法が効力を発揮してる最中の唄に思えるけど、その時期から抜け出ちゃう過渡期の唄なんだろな。インタビューでもそういう風に言ってたっけ。
なんか「転がり続ける」繋がりで比較するつもりはないけど、チルの「ヨーイドン」を思い出しちゃいます。あれは過ぎ去って大人になった後に、自分の子供を通じて再び再会するものだから。描こうとした対象に共通点はあれど、本人の立つ時期によって異なってくのがだからこそ、それぞれにしか描けない世界の証でおもろいわ。

立場上比較されやすい位置にいますけど、そういうの以前の問題としてなんだかんだサクと巻ってやっぱそっくりだと思う事多いんすよね。作品は具体的表層だから、そこが似てると思うんじゃなくて。インタビューとかから垣間見る思考プロセス、論の進め方ってか組み立て方に、理性的検討した上で最終的な態度を決定する嗅覚の部分?そういうトコがすごい近い気がします。
どちらも表現者として対した場合非常にエキサイトできる人種ですが、男として対した時にはぼちぼちムカつく人種でさ。