2010年12月25日


例えばせっちゃんのツアーでポッキーギター貰ってる総くん見て「志村が羨ましがるなー」と思った。例えばアジカンの鉄板のグルーブにぐいぐい絡んでくるダイちゃんに立ち会って「うちの金澤くんやるでしょ」とほくそ笑んどる志村が浮かんだ。
<もし>・<居たら>な仮定の話じゃなく、あの夏の夜に赤富士のてっぺん座ったあいつを見つけたのと同じように、私にとってひとつ当然の着地点。

幻想だって分かっていても、弱っちい私には必要なもの。あいつが残した、あいつと繋がる魔法の種。音楽はもちろんとして、モノノケと過ごした5年間の記憶は365日とはいかないけど12カ月のあらゆるところに居場所があって、そういうあれこれが一々私を幸福たらしめる。この記憶がある限り私は一生幸福で、それと同時に少しだけ不幸せなんだろうな。

存在は忘れられなくても、音楽が残っても、記憶は薄れてく。あいつがいるフジファブリックとの時間が遠ざかっていくのが辛い。終わってしまった夢が捨てきれない。その一方で5年後10年後に、どんな形だとしてもファブの歌を聴きたいとも思ってる。そこにあいつが欠けてても、いつか夢見たものとは違ったとしても、この先の未来に少しだけ期待する。

ゴットの一周忌ライブで呼人さんが「この1年みんなの中でキヨシローさんをどう吸収してきたか」それを確認する日だと話してた。いるのにいない、でもやっぱりいる。そんなあいつを描くこと、それが私の一周忌。