生きてる土地で会いました(フジファブリック TEENAGER FANCLUB TOUR in京都磔磔)

私が初めてファブのライブに行ったのはちょうど3年前の桜の季節。場所も同じここ磔磔。そんでその時に本邦初披露されたのが、レコーディング前の「虹」。今では志村のシャウトで突き抜けるとんだぶっ飛びソングになってますが、そん時はさぐりさぐりオドオドした印象をうけたものでした。そんなファーストコンタクトから、今ここまでファブを好きになってる未来はまったく想像できなかった。おもろいバンドがいるなーとは思ってたけど、そこどまりだった。「虹」を昇華してったように、バンドとしてこんなにも化けていくとは思いもしなかった。好き!の気持ちが増すたびに、思い出すのはこの日のこと。
2年ぶりのアルバムツアーで、2年ぶりの京都公演。その間色んな場所でファブに会ってきたけど、私にとって想いの始まりであるこの場所で、また会えたのがとても嬉しい。
昨年末は武者巡業における志村の奇行が随分と話題になってた様に思います。私も湧かされたものでしたが、武者巡業というツアーが最終両国を視野にいれたものであり、志村をあの奇行に走らせた一因がそこにある以上、次回ツアーでも継続する可能性は薄いと考えてました。そして迎えたこのツアーでは奇行パフォーマンスはなりを潜めています。一見すると昔に戻った様な印象を受けるかもしれません。でも違う。確かに変わってるの。武者巡業の時ともそれ以前とも違う今のフジファブリックは、視覚的に判りやすい形をとんなくたって、その音だけで十分すぎっほど意思や覚悟を伝えてくる。こういうのを貫禄って言うんじゃね?
ライブってやっぱステージと客席双方向の熱が絡んで生まれるマジックがあると思います。その点が高知は良かったし楽しかったし盛り上がってはいたんだけど、やっぱ初めてましての地で双方どっかまだお行儀よい感じから脱け出せてなかったと感じました。そこがその日の100%ではあったけど、それ以上のもんがみたいという欲求に繋がるんすが、今宵京都は関西圏の楽しみ方知ってる猛共相手にモノノケもあがる騰がる。ライブのテンション、音の冴えからべしゃりにまで影響する程、ここまで循環したのは私の経験では渋公以来。
べしゃりがねー、盛り上がって且つおもしろかったのよ。私の力量じゃ文字で再現できないんだけど、志村のひとり喋りでもなく、ダイちゃん任せっぱなしでもなく、ひとり喋りのどうしても聞き流せないとこを山内がつっこむだけでもなく、ちゃんと会話の輪になってた。そういうのがなんか、足立くんいた頃以来だとか思って一瞬感傷的になっちゃったんだけど、当然その頃の形と今のは違ってて、そんでそれでいいと思い直しました。
音を通じて伝わる意思に、衝動に、震えて止まない。アルバム「TEENAGER」の芯に感じたまなざしがそこにある。この熱に会いたかったのよ。重い想いをかかえたまま、踏み出す足でどこまでいくかい。その先の景色を少しだけでも分かち合いたいから、自分勝手についてくぜ。