「先生ホントに枯れはててる」

藤原先生一人喋り放置をのりこえ、留年生カムバック。
・「ぶっちゃけ先生もこの教室くるの久しぶり」知ってるけどちったー体裁つくろってください
・「未来に向けてしゃべってた」変なところで巧みな比喩
・「プールのある家」「犬のいる家」「忍者屋敷」夢が家に摩り替わり
・「脱退させてやろうか」台本なのかどうか判んないけど、先生のフリに否があるよ
・直井さんの声遊びが炸裂
私は藤原基央の一人喋りほど過酷な刑はないというレベルで苦手としてるので、おかえりなさいバンプ先生とあれほど湧いてたのにこの8回華麗に不登校でした。1月はアジカンサウンドストリートと被ってたんで余計に。昔みたいな先生+3人の留年生での授業形式を期待してたのに、藤原先生オンリーロンリー特別授業なんだもん…。
詩人として藤が紡いだ歌をバンプっていう集合体で担うのはいいんだけど、たったひとり私人として藤が担うっていう状況に私が耐えらんないの。それは私が個人格としての藤原基央を信用してない(詩人としては信用してる)っていうのが最大要因なんだけども、よりにもよってよりにもよって…内容が曲解説だったでしょ?よりにもよって殊音楽っていう言葉での完結を主張するこの御仁に、20分もひとりで曲について語らせるなんてさ。本人も納得しきってねぇんだけどそれでもきっと言葉探してくれると思うから、「頑張んないでいいっす、先生頑張んないでいいっす」ってラジオの前で涙するしかないと思ったのよ。それは…重たい。あまりにも自分が重たい。故の欠席措置。
今回のカムバック、喜んでただけに落胆が大きかった。方法…がね、なんかこの方法を番組側に選ばれた時点で裏切られた気持ちになった。ただ意味がなかったとは思いたくない。聴いてないけど様子気になるから感想とか書きおこしとかちょこちょこチェキってて、おおまか予想とずれないテンションだっんだなと判断してるんすが、そこで伝えられた言葉の全てが無意味だとは思いたくない。やけっぱちさが隠しきれなくてもギリギリの誠意で踏みとどまって言葉紡いでたのは、聴いてる人がいるからだから。届いてたらいいなと思う。自分はその言葉受け取ること放棄したくせに勝手いうなだけども、自分勝手にそう願う。