癒しん坊選手権

作業中は音楽聴くことがほとんどなんですが煮詰まってるとあのフレーズこのフレーズにひっかかって、「ライブ行きてぇー!」という逃避結論にダイブしてしまいます。そんな時に欲しくなるのが大泉さんのボヤキ。瞬発力と言語センスにうなるも、なんでだろうものすごく無心になれる。延々とどうでしょうを流しながら、黙々とパソコンに向かう。“大泉さんのボヤキ”が目当てならどうでしょうに限定しなくてもいいのかなとも思ったものの、どうでしょう程大泉さんを抑圧できる環境はないからボヤキの質がちと違う。副音声とかもD2人っきりとかwithミスターのとかは内容があるから、何度か繰り返す内に覚えちゃうんだよね。でも大泉さんのはホラやらいいがかりやら、基本どうでもいい内容だからつるっと忘れちゃう。会話のテンポの心地よさもあって、何度目だろうと飽きないんだよ。
もしかしたら私は大泉さんのボヤキにものすごく癒されてるかもしれん。あんま音楽に対して“癒される”って感触を実は持ったことないんですが(奮ったり震えたり、潤ったり殺されたりっていう感触はあんだけど)、私が大泉さんのぼやきやホラ話に抱くこの感覚は癒しかもしれん。そんな疑惑が今週末、それこそ閉鎖状況に対してどうでしょう処方して浮上しました。前々から“癒し”の考察したかったんで、参考用に記録。