時々じゃなく雨だとしても(apbank fes07 inつま恋)

 明け方5時の渾身の作
三年目の再会に、あの男が用意した「よくきたね」の詞がどういう感触なのか実際に確かめたくて行ってきました。それは大げさな歓喜とも違う、素朴で穏やかな喜びでした。
〈よくきたね 疲れたでしょ 少し変わったね 前よりもっとやさしくなった 僕はどうかな? やっぱこの話はいいや いっぱい遊ぼう〉
あなたは、変ってないね。“知ってる”顔で、今日もたくさんの願いを、祈りを、叫びを、歌にして届けてくれた。でもあなたも変わってるよ。去年よりも一昨年よりも、ずっとずっと楽しそう。
「いっぱい遊ぼう」の詞通り、やんなくてもいい事は諦めて、やった方がいい事とやりたい事を上手に選んで、より自由によりそのままに、この時間をめいいっぱい紡いでた。
年に一度訪れる特別な空間。頭上には空、周りには緑だけ、芝生の柔らかい土、心地よい風。願う、祈る、叫ぶ。モンスターの“おもい”が歌になる。歌として届く。呼吸する様に自然に、振動が伝わる。つられて深く深呼吸をする。息の仕方を思い出す。息の仕方を、思い出した事を思い出す。
また一年経った。自分で気付いてる部分でも気付いてない所でも、きっとたくさん変わってるんだろう。哀しくない、恐くもない。空と緑と太陽と、時々の雨に。融けて伝わる彼らの歌に身をまかせたら、ただ“今”を感じればいい。そうして気付く私の願い、私の祈り、私の叫び。
特別な時間はいつもあっという間だからもうさよなら。でも忘れない。今年また新たにあの場所で出会えた、たくさんの景色と感情。日常にすると選んだ場所で願い、描き、選ぶ未来の素になる。さようなら、ありがとう。
「いっぱい遊ぼう」と待ってたモンスターだけど、“いっぱい”の筈がたった一日だけになってしまった。その一日を全力で過ごしけど、きっと遊び足りないだろうよ。今日の喜びが、次の約束になる。残念ながら今年一緒に遊べなかった人達との、叶わなかった約束も“来年”て未来を選ばすんだろう。また、来年。もし来年でなくっても、きっと必ず。いっぱいいっぱい、また遊ぼうね。