「テンパッた世界 それでも僕ら やらなくちゃいけないから」

ムカついてるだけでなく凹んでる状態は「くそったれな気分」と言う表現がふさわしいと思う。怒るという状態は基本的には相手に非があるという認識の下に発生すると思うんですが、そんな「ばっかじゃねぇの?!」っていう状態に対しもうちょっとなんかイイ対応できたんじゃねぇか闘えたんじゃねぇかという自己反省・嫌悪が常に併発。
そんな日は「くそったれな気持ちですか?」ってコウセイの前説から始まるGO FOR THE SUNツアー生放送版DVD(友人編集ブツを嬢渡)を見る。アナログ・ファブ・スパルタと踊りまくって瞬間忘れたら、もうまったく同じ面子では起こりえない幸福なセッションに泣きたくなって。そんでコウセイの「GO FOR THE SUN!」のシャウトにひっかかれて、ちょっとだけ泣いたら楽になる。

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“仕事”ってフィールドに足踏み入れるにあたって、“フェアさ”を求めちゃいけないんだというのを学習しました。そのフェさを求めちゃいけないってのは、理不尽さを理不尽だと真っ向から伝えちゃいかんということだと解釈してます。それ故ある程度は愛想笑いも婉曲したもの言いも出来てるつもりなんですが、やった後ものすごい落ち込む。嘘ついてるー自分偽ってるーなんて言う気はさらさらないですが、ただひたすらまどろっこしくて消耗する…。出来るならば違う方法を取りたいけども、理不尽さを無自覚な無邪気さでもってこられたり、理不尽なのを判った上で騙し騙し丸め込まれてこられたらそうやって対抗すっしか現状策をもってない。そうするしかない己の現状の立場と力量に落ち込む。
「理不尽だ」と感じる自分のジャッジが低すぎんじゃねぇか?と考えこんだりもします。絶対的に正しいことなんてないってのが信条ですが、それでも最低限これおかしい(説得力がない・筋違い)だろうというラインは譲れないからイライラする。大人になりたいって言ってばっかだったけど、理不尽さの存在をあって当然だと容認できんのが大人だってんならまだ大人になれなくていい。笑って流して丸め込むのが得策なんでしょうが、やっぱおかしいもんはおかしいもん。それもこれ理不尽さのいっとう被害被る立場にいるからってのは整理ずみ。容認する余裕などもてんよ。中田さんがグロウン卒業ん時冗談めかして「地位と名誉が早く欲しい」って言ってたけど私も欲しいっス。現状遭遇してる理不尽さからの被害を回避するために、ある程度必要であり有効かと判断。そのためにも実績と実力つけることですわな。
とりあえず今日できることは全部したんで、レスポンスくるまで考えないでおくこと。宣言しねぇと忘れらんない弱っちさは許しといて。

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GO FOR THE SUNツアー記念会議ので、コウセイが加藤さんのこと「カトちゃん」呼ばわりしてた。和むー。ライブ映像の後みる、会議のばかばかしさはかなりどうでも良くなれる。特効薬。