「誰かいる 何かある そんな気配に」

蛍 / RUN (初回限定盤)

蛍 / RUN (初回限定盤)

チルのドタバタで放りっぱになってたのを、僕音で初聴いて音源も開封
「蛍」→音の、声の震えにまーた初っ端から掴まる作りでこの野郎。7月の雨も祭りの囃子も蛍の光や虹の色も、その存在自体は変わらない。変わるのは、変わらざるえないのは自分の状況。自分の意志で選んだものであったとしても、自分の意志を越えた範疇のものに大きく影響既定される。「だってあなたに会いたいから」から「今、逢いに行けたら」の変化がひっかく。映画への書き下ろしっていうのも影響あるんだろうけど、「会う」と「逢う」の違いとかね。僕音の奈々子さんとの対談で「出来ることなら逢いたかったんだろうな」って巻が云ってたから、逢いたくて会えなくてそれでも逢えたって歌なんだろうか。物理的に直接確認しあう“会う”ことと、気持ちが通う・通じ合うっていうことで“逢う”っていうか。『太陽の下』の「会う」にも後者的意味合いが含まれてるだろうけど、イメージとして前者が強かったからこの幅の広がりに掴まされる。叶った願いと叶わない願いの同質量感が、『茜空』ばりにゆらぎになって痛みがくる。“光”の儚さと鮮烈さが蛍だわ。お見事。
「RUN」→きましたよー、巻節全開。キモチワルイ!(喜。ファブに対するキモチワルイ!の評は不狂スレスレ狂和音に対してだけど、レミに対するキモチワルイ!はメロディってか節回しに対するもの。この巻節が恐ろしいのはそこで上がるの?!そこで下がるの?!!って戸惑いだらけに見せかけて、かなりすんなり覚えてしまう。これも鼻歌っちゃうだろうなー…。POPだよ。

「幸せのカタチ」→やたら久々な気がする、関係性ソングてかラブソング。「僕」と「君」と、「僕ら」の3段階がすげぇ好いなー。「個」で「孤」であることの先の「僕ら」っていう集合体ってのが、鋭度増してんだよなー。
パラダイム』ん時にも感じたことですが自然的環境の描写から心情を映すのを巻は非常に長けてますが、自然に限定されない広義の“環境”を描く取り組みに積極的な印象があります。「HORIZN」ではまだ背伸びした言葉使ってるけど、選び方どんどんシャープになっててる。これからどうなっか、ゾクゾクすんなー。
ちなみに<自然に限定されない広義の“環境”>の表現に関して、やっぱ桜井和寿は秀逸だと思います。